2019年3月23日土曜日

Every time you ignore me my heart breaks in two.
Half the world is waiting for someone they can hold.
Half the world is praying they never be alone.

2019年2月8日金曜日

連寿尼の覚悟

いまや階級闘争は男と女を引き裂き
女古と女良を引き裂き
父と子を引き裂きました
死んでいない亡者たちが生まれていない子どもたちをむさぼります

けれどわたしは
渡されたカップをつかみ
いっしんに飲むあなたをこの世界にさしだすのです

さしださなかった母たちは
引き裂かれた父たちのかわりにこどもをむさぼり
果てはこどもにむさぼられてしまいました

だからわたしは
あなたをこの世界にさしだします

あなたが自分で栄養を採れるよう根を備えさせ
あなたが自分を活かす場所を探せるようつばさを授け
あなたの幸せを願います

2018年9月4日火曜日

またもや夢の話

最近夢に癒されることが多い…

センターで広報の話をしていた。
前後で他の広報の仕事をしたかもしれない。
センターの人と話をした。

わー、今朝あんなにはっきり覚えていたのにもう忘れてしまった。

ですが、私にとって大切だったことを思い出せました。
夢として顕現したきっかけも分かっている。

畳のお部屋で幼稚園の読み聞かせ会の打ち合わせをしたから。
自分のドイツ語の理解についても聞かれて答えたことも「興味を持ってもらえる、理解してもらえる」という安心感につながったのでしょう。

飛び出してからはまっすぐ思い出しにくくなっていたけれども、
やはりありがたい思い出だと気づく事が出来、じんわりと胸の奥が暖かくなった。

2018年5月28日月曜日

Momo Stunde

今「モモ」のwikiを見ていたら、1973年刊行でした、同い年!

昨日は息子とお弁当持参でおばあちゃんのところへ。
大変喜んで息子をかわいがっていただけました。
息子も気を遣って遊べる。おおきくなったなぁ。

さて、昨日は和綴じの冊子をみせてもらいました、
おばあちゃんが若かりし頃第二総軍の作戦を結婚退職?にあたって贈られた寄せ書き2冊。
1冊は上官からのもの、小さめの2冊目は同僚からのもの。

1冊目筆頭は終戦時の高級参謀。送辞と記名と花押。
いや、さらさら聞かされましたが「高級参謀」の言葉ひとつとっても、現在はwikiに記載されているから分かったことであってやはり73年前(祖母23歳)ははるけき昔。

「戦後自衛隊の上の方へ行った方もあれば、『自分は戦犯だから』と、引き合いがあっても会社の守衛さんで一生を通した方もあって、それぞれ。もうわたしだけになった。」

2冊目は書式は一様ではなく、わたしでは判読困難でした。おばあちゃんによると「女の人はわりに気楽だけれども、男の人は先を憂いて悲壮よ」
そんな悲壮な送辞の書き起こしが「いつも可愛い笑顔で」「貴女のにこやかなたたずまいが」といった賛辞で…社交辞令?マドンナ?
肝心の本文、ざっと読んだ印象は悲壮を通り越して、まともではいられなかったのだろうなぁ…という印象でした。ピカドンどころか「パンペロ」と呼び習わしていました。

おばあちゃん、saneに長生きしてくれてありがとう。



2018年4月17日火曜日

きくらげラブ

きくらげをぬるま湯でもどして刻んで「寿司酢」で炒めてちょっと塩して最後ごま油たらしたおつまみ、飲まない時のおつまみとしてサイコー。

2018年4月8日日曜日

またひとつわかったよ

母に電話をした。

風邪をひいてつらそうだった。
老老介護のつらさ、健康な父に対して「女は体調が悪くても家事をしないわけにいかない」「あなたは元気でいてね」

うーん。
そうか。同じ「怒りながら家事をするオンナ」として仲間扱いされて困るのか。
だから「なにもしない文」の不名誉称号を奉ろうとするのだな、本人的には親しみを込めて。

なるほどなるほど。

わたしは彼女には条件反射で一度反発してしまうので、
その反応をよく観察しておこう。

くりかえしたくない

尊敬する家長から酷い扱いを受け、自分よりも弱者を軽蔑や侮辱することも教えられてしまった娘が、
無意識にそれを自分の娘に伝えてしまい、その娘(孫)が愛するはずの対象を憎むことを学んでしまい、同じ事を自分の息子に伝えてしまうのではないかとおののいている。
のみならず、「娘」の高いプライドと低い自己評価も「孫」は引き継ぎ苦しんでいた。
ことに気づいた、のか?

「死にたい」と思うときは 「さみしい」とき「ケアしてほしい」ときと気づいた。

自分をケアして、自分のなかの「あやちゃん」の声を聞こう。

今なおおりにふれ「娘」にはおとしめられるので、そこは受け流そう。

「お母さん、わたしはお母さんに『あやさん』と呼びつけられ精神的に打ち据えられるのが嫌でした。『何でも出来る子』として小学校3年生の2学期にドイツ現地校から日本公立校(1学年7クラスのマンモス校)に入るのは苦痛でした。弟の受験を経た進学校での不登校のストレスをぶつけられるのが苦痛でした」
「今なお、行動が不安定な弟のかたわらで言葉を飲み込み、よい子を演じています」
「自分の苦悩は、話のたね以外のものは話せていません。それ以外の対話の型がみあたればよいのですが」
「娘」が学生の時、勉強で無理をしすぎて入院した事を最近知りました。
だから「孫」が学生寮に入寮した後の不調の際に一年間親元に呼んでもらったのだと腑に落ちました。
と同時に、娘と孫はそんなことも言語化して話し合えないことが…釈然としない。

「同じ事を自分の子にしたくないです」
「自分の子は地域社会に適応できる価値観と社会性を身につけさせたいです」
「そのためにも、自分の社会性、社会の中の立場を得ます」
「あなた方とは少しだけ距離をおきます」
「離婚したい、助けて欲しい、というのも本音ですが、おそらくそちらからのご提示以外は受け取らない方がいいのだと思っています(どうやら実家ではかわらずの「いい子」以外としては存在できない)」

引っ越す前の無邪気に夫を愛せていた頃のブログを読んで、この様にくったくなくありたいとは思うけれども、お互い精神的にも行動の上でももう少しよい距離をもてないと難しいことが分かる。

わたし(あやちゃん)が成長する、自立する、とは。