2010年12月28日火曜日

1Q84感想

高校生の時、友人が真剣に言った。「私、時々一生懸命な自分を見ている冷静な自分がいるの。没頭している誠実な自分でありたいのに。」
今なら「おめでとう。物語を紡ぐ力がついたんだね」とでも言うかもしれない。
当時は「そんなのあたりまえじゃん」と言いたかったけれど、それではいかにも冷たいだろうと推察できたので何も言わなかった。
私には「外から見る目」があることが常態だった。8歳まで言語はドイツ語、思考は日本語だったので、世界と自分が一体ではないことが自明だった。自分だけの目で世界を観る、自由で当たり前の状態。
世界が「小さな物語」を押しつけてきたときに、「しょせんそっちの物語でしょ」と冷やかに対応してしまい、苦労することになるのは言語も思考も日本語になってから。

スモールピープルはコワいばっかりだったけど、大きな物語の一部で機能していればただの「ファミリー」だと思う。思想セクトが、大きな物語が終わったのにまだ残っていたからカルトになっちゃったって視点は短絡的すぎ(「リーダー」に至っては何の考察もない)。
そこからこぼれた個人を救済するのが「愛」であり、「奇跡」なんだと結論づけたようけど、この物足りなさはなんだろう…?Book3、あらすじだけでなくて1冊読むとまた違うのかしら?

…ということで、Book3を読んでみました。
「人身御供」の物語を、現代にあわせて男女共有の目線で語った、ということのよう。お互いを見つけ合う物語として。
感想を少し検索したら、救済された感覚を得ているヒトもちゃんといた。メッセージは届いているようだ。

でも。
「ポニョ」と違って、私以降の世代に必要な希望は提示されていないのです。これはあくまで旧世代の為の物語。

2010年12月26日日曜日

年末歴史遡上

小田原城、小田原漁港での食事、根府川のヒルトンスパ宿泊、伊豆願成就院、修善寺(宝物殿で公暁が納経したものも見る)、あさば旅館、弘法大師の奥の院でわんちゃんの歓迎、伊豆スカイラインと盛りだくさんの年末旅行でした。楽しかった!

2010年9月20日月曜日

尾瀬ハイキング

9月19日に尾瀬のハイキングに行ってきました。

那須塩原インターチェンジから、まずは御池に駐車して、姫田代あたりを往復2時間ほど散策。その後南会津側の宿アストリアスホテルに泊まりました。深山で素敵な所でした。

2010年5月23日日曜日

なるほど

そうそう、思っていた思っていた。

もう妄想は手放した。

光の中で生きていこう!

善と悪(暫定解)

善:この世の試練を自分にも他者にも転化せずに解決する方法

悪:この世の試練の苦を、自分や他者に苦を与えるかたちで処理してしまうこと


でもいずれも個々の主観による。

2010年5月22日土曜日

つっこまずにはいられない

BRUTUSポップカルチャー特集で
東 浩紀「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」が紹介されていた。

大塚英志の「物語消費論」に対する「データベース的消費」を知った。

どちらも、有史以来の日本の「輸入カルチャー消費文化」の一環やね。

2010年5月21日金曜日

風評と芸能人のありかた

youtubeで動画サーフィンをした。

美輪明宏→木村藤子→飯島愛引退(金曜日のスマたち)

飯島愛の様子があまりに歯にものがはさまっていたので、引退の真相を知りたくてググってみたところ、一連のネット書き込みがあった。

そこから類推できたのは、飯島愛のヤンキー時代の仲間が「コンクリート詰め殺人事件」に関わっていたとの書き込みが激しくなって、飯島は番組に迷惑をかけないために早期引退を決意した。木村藤子さんは、「引退しなくても、踏みとどまればいい方に流れがいくから大丈夫」と伝えたかったけれど、かなわなかった、ということ。

真実は判断しようがないのでおいておくとして、

げにおそろしきは風評なり。
相手が一人ではないから。対応すると、その対応についてまた様々に解釈される無間地獄にはまるから・・・。

広報で「ネット」特に「2ch」は「放っておく」が鉄則だったのも、同じ理由からだ。

それで連想が飛んだのだが、
美輪明宏さんや江原啓之さんや義母(!)が「すてきな格好」をしていて、「宝飾品は魔よけになるのよ」と言う時の「魔」とは、ヒトをさす「魔」なのではないか?

原始以来、ヒトは宝飾品や権威の姿形を崇めてきた。現代でも、風評をたててひろめる衆生の多くは、そういった権威ある対象は敬遠する。

逆に弱いもの、社会的に疎外されているものに対して攻撃的になる。
愛ちゃんは元遊女で、しかも期限の切れた遊女として攻撃対象になってしまったんだね。
もう少しがんばったら美輪さんと同じ聖性が発現されたのかもしれないと思うと切ない。

こういう時「生まれてくるのは魂の修行のため」と思えるのは救いになるんだろうな。

2010年5月5日水曜日

日影茶屋

鐙摺海岸は頼朝が亀の前をかくまっていたあたりでしたっけ。
待合スペースに懸かっていた相模の国全図を書き写したかった・・・

義父のお祝いでフルコースをいただきました。
お刺身が絶品。他の品も目に楽しく舌に美味しいものぞろいでした。

2010年4月19日月曜日

インパラの朝

半年くらい前?にラジオで著者のトークを聞いていたのを本屋で発見。トークが「ふつうに常識的な人」だったから購入。

紀行文は、著者の個性を楽しむもの(開高健とか)と、自分に近い人の視点で世界を見る楽しみに分けられるんじゃないだろうか。
国際結婚もの(ダーリンは外国人、モーレツ!イタリア家族、トルコで私も考えた、インド夫婦茶碗)が(自分のなかで)人気なのは後者の理由による。視点に違和感があると楽しめないので、国際結婚ならなんでもいいわけではない(アジ玉とか?)。 だから、この本が面白いかどうかは共感できるかどうかにつきると思う。
自分としては近年まれにみる5つ星だった。「インパラの朝」に相当する場面を、自分も大切な記憶としてもっているからだ。それがかけがえのない光景である理由も、近いのではないかと想像する。

欲を言えば、ストーリーとしてエピソードがつながっていれば素晴らしかった。けど、そうする難しさは想像できる。自分が書けと言われたらやっぱりこのスタイルにするだろうな…。

帯の解説には申し上げたい。「男性の作家は『ふつうに整った顔立ちの女性が、そのリスクを自覚、把握した上で行動する』ことを理解する恰好の書と考えればいいのに」

ブログが面白いらしい。 http://asiapacific.blog79.fc2.com/

2010年4月17日土曜日

そうでした

たまたま「人身御供論」→「差別の民俗学」と読んでいて気付かされた。

そして「サマーウォーズ」でとどめがさされた。

日本でのルーツさがしはデリケートな問題をたくさん含んでいるのだ。

2010年4月16日金曜日

へこんでいた理由

そうだ、このブログで書いたとおり、わたしは向きあえていない気持ちをかかえている。

精神的な応援を得ていた祖父母が、高齢化にともなって弱くなっていて、新しい関係をつくりにくいと思っているのだ。

祖父の帝国軍人のパーソナリティは怖いし(むかしはたかをくくっていた、怖さを知らなかった)、今まで自信満々の体しか見せられなかった祖母の弱った姿にも弱い。

母よりもそちらに精神的援助を見出していたので

介護における「孫力」が発揮できないケースかも。
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/071007/wlf0710071128000-n1.htm

2010年3月25日木曜日

オスカー 天国への旅立ちを知らせる猫

やるせない現実にへこんで手にとった本。
期待通り泣けました。

「あなたがいてくれたから心穏やかになれたわ」
そう思ってもらえたと分かったヨロコビは、介護した人を解放する。

多分、この猫も学んだんだ。
自分が、大好きな人の役に立てたことを。
それがヨロコビとなったから、今も真摯にその役を果たしている。
大好きだった一人のためではなくて、施設全体の全員のために。

人間の、おっと、生物の行動の源泉が利他のヨロコビだということは、なんという福音。

2010年3月24日水曜日

バルテュスこぇ~

徹子の部屋の出演が「節子・クロソフスカ・ド・ローラ」バルテュス夫人で、
珍しく徹子さんが同時代人と空気を分け合って話しているのが微笑ましくて、アイロンをかけながら「ながら見」。
しかしそのうち、夫人の不思議な嗜好が気になってくる。

バルテュスって誰だっけ?

・・・ググってみて、むか~し朝日新聞の日曜版の記事で見た絵といくつかの解説に行き当たる。

当時はちっとも理解できない絵だったが、少しは人生経験を積んだので、画家の人となりの評伝と合わせて、ああ、3代前の支配者層の感性の人だと思い至る。

女の人が鬱屈してヘンな(失礼)セレブ臭を放つのはその人が夫のあわせ絵だから。
もちろん、当人達はそういう自分が大好きなのだから余計なお世話、というお話でした。

2010年2月26日金曜日

ベルサイユのばら

小学生の時に読んだ時は、全く理解できていなかったことが判明した。

まあ政治の流れが分かったのはもちろんだが、
片目が見えないブルネット男性の系譜の源流も分かった。

ついでに、中公社まんが世界の歴史 "【 第八巻 】 「自由の旗の下に」" 、ソフィア・コッポラのマリー・アントワネットもこんな視点でしたね。

とにかく歴史に残るまんがですわ。

2010年1月10日日曜日

「1冊で分かる教理」の感想

昨日夜、ひさびさに開いた「1冊で分かる教理」に深い感銘を受けたので、忘れないうちにブログにつけることにしました。

1967年にアメリカの成人キリスト者向けテキストとして出版され、1994年に改定されたものの日本語版。
この改訂版は、問題意識が現代の課題から少しも外れていないように思いました。

実はきちんと意味を分かっていなかった「エキュメニカル」という言葉についても学べそうです。

昨日読んだ部分で最も感銘を受けたのは「多様な立場のキリスト者どおしで信仰について語り合う時に有益な対話をするために必要な前提は 1.自分が信じること、信じられないことについて、正直に表明する 2.他者の信仰について敬意をはらう の2点」という箇所でした(うろ覚えなので違っていたら後で修正します)。


読むことで、とても自由に、解放される感覚をもてました。