2016年10月7日金曜日

無題

風邪をひいてなにもできず、
連載当時は「全く話の内容がイミフ」であることを「わたしって大人じゃないのなー」と引け目を感じていた「月の夜星の朝」の35歳版をwebで読んで、
しみじみときめきトゥナイト派で良かったと思い、
現代人たちはそりゃー死ぬまで愛だの恋だのうつつぬかしているわけだと半ば悟り、
実写映画で主人公の相手役が坂上忍だったことを知って
もはやギャグだとしか思えない。いいよもうギャグで。

2016年9月30日金曜日

世界がわかりやすくなった!!!

瞑想をして頭がよくなったかとかメンタルが強くなったかとかは当社比なので客観的には分からないが、時々、ああこの文脈以前より分かる!!ということにであう。
おそらく書いている人にとって「徳」は一般常識なのだろう。が、わたしには最近構造が分かってきた言葉です。これとか。最後のまとめの3項目め、以前なら読み流したでしょう。
http://www.ikedahayato.com/20160930/66145009.html

蛇足で初心者のヴィパッサナー瞑想体験記。楽しい。
http://srdk.rakuten.jp/entry/2016/09/29/110100


2016年8月22日月曜日

そうでした

瞑想に通うきっかけを下さった方のブログを読んで、インナーチャイルドワークいいかも…などと考え出したあと、「…というか目の前にチャイルドいるやん」とセルフ突っ込み。「思考の無明」ってこれかー!

2016年8月6日土曜日

こんなところにマインドフルネス

と、ティク・ナット・ハン師
http://tnhjapan.org

生田の3年生だった1995年から何年間か、少なくとも2001年までは町田の「たべものや」さんに通っていた。いろいろな意味でお世話になっていました。
そこでティク・ナット・ハン師の名も耳にしました。どんな方かはその時は存じませんでしたが。

だから先ほどNHK「こころの時代」で番組を見たときは大変懐かしくも、そのような方なのだと知ることができ、よかったです。

2016年7月28日木曜日

本日の所感

昨日は超人ロック「風の抱擁」、本日は、タイトル忘れた、恋愛ものの掌編漫画を読んだ。サマタ瞑想、的に←瞑想ギャグ
もとい。体が静かにしていたかった?その日のよい気分を継続したかった?
所感が、「愛情アウトプットは愛情タンクに注がれたカタチ…バイブレーションに添ってしまう」「与えられたもののなかからどういったバイブレーションを育てていくかは選択だが、それも経験値による」
「このことを日々忘れないようにしたい」
「あまり選べる気がしないが、瞑想と心がけでなんとかなるのだろうか」

尊いことをそのまま尊べるようになりたい。
心のどこかに「対象を見下す気配があること」に気づいていたい。その正体を知りたい。

ヴィパッサナー瞑想をした初歩の所感

前提
ヴィパッサナー瞑想の 瞑想、五戒を守る生活、慈悲の瞑想 をバランスよく修行することによる精進、は、違う形でこれまで少しずつ体得していたような気がする。

課題は、やはり「怒り」の定義。

輪廻転生の世界観における「怒り」のチェターナーについては初耳だった。
これが本当に画期的で、なぜ日本人の「みんな」は「笑って」いるのか、なぜ「そんなに怒らないで」と諭されるのか、初めて納得のいく解を得られた気がする。

「不善心処」程度だと、仏教哲学の一部として「理解」できる。
http://www.j-theravada.net/pali/key-akusala.html

しかしその背後の理由が、根本的には怒らないため、なぜ怒らないかは、業を深くしないため、ということが、不文律というか、「なぜ?」と問うてもなかなか出てこなかったのだ。

「怒り」のままでは未分化で、幼いと「興奮」と見分けがつかない。
見いだして、分化させていくことが文化の課題であり、タブララサを「人間」と為す要諦。

ああ。
だから「石原都知事と一戦交える」に失望したのか←これは多分慢でしょう。

2016年7月26日火曜日

最近気づいたこと

前提 子育て中につき、過去記憶参照が進行中+ヴィパッサナー瞑想を齧った

母語での生育+外国語での社会性獲得→帰国&外国語のフォローなし=無理ゲー

たんたんと事実として観ている

2016年6月16日木曜日

3A

attitude
awareness
authenticity

2016年5月17日火曜日

マブイぐみ

今日は雨降り。
初めて子どもの自転車席用レインカバーを使って幼稚園に行った。
無事に園の駐輪場に着いてカバーを開けたら、ベルトをしていなかった!何事もなくて良かったよー!!!泣
そして到着したのが早すぎたので、商店街の軒先で雨宿りをした後開門を待とうと思ったら(幼稚園に並んでしまうと、時間がかかりすぎる場合は息子がまちきれないかもしれないので)、軒先のある所の手前の歩道上で、ビニール傘をさしつつ杖と自転車に掴まってよろけているおじいさんが「すみませんがちょっとカタカシテください」と。
…外で暮らしている方だろうか…?
「傘ですか、杖も支えますよ」
「いや、肩、肩、脇の下支えて」
「あ、肩」
息子の位置を確認しつつ「大丈夫ですか、救急車呼びましょうか」などと声をかけつつ、直接脇の下に肩を入れるのがためらわれて二の腕で引っ張り上げる。
「災難でしたね、では」
「ありがと」
立ち上がったのを確認して、目的地の閉まった店の軒先に入って振り返ったらもうその場にいらっしゃらなかった。息子の顔を確認したりしているうちに、通りがかった商店街のおばちゃんらしき人が「どうしたの」と。「早く着きすぎて幼稚園がまだ開いていなくて」などと笑って見交わす。

Sankt Martinではないが、もっと何かできたのではないか?あるいは早く着いたのので臨時におつかいをした?などと浮かぶ考えは妄想や慢なのでしょうかしら…(妄想かどうか迷わずラベリングできるようにもっと修行しよう。と、書きながら思った)

幼稚園に向かい、息子をお預けして家に帰ったが、微熱っぽく、落ち着かない。どこかでマブイでも落としたか 泣。久々にブログに書いて落ち着こうと思い、ついでに「マブイを落とす」で検索したら、「マブイを落としたらマブイぐみをする」旨の記事が。よし、帰りにマブヤー マブヤー ウーティクーヨー 〇〇(落とした人の名前)のマブヤー ウーティクーヨー マブヤー マブヤー ウーティクーヨーと唱えるべと半ば本気で思ったが、この記事を書いているうちにもう商店街のおばちゃんや先生方に拾ってもらったことに思い当たりました。

というか、ほんとに風邪か。喉も頭ももやっとする。