2016年7月28日木曜日

本日の所感

昨日は超人ロック「風の抱擁」、本日は、タイトル忘れた、恋愛ものの掌編漫画を読んだ。サマタ瞑想、的に←瞑想ギャグ
もとい。体が静かにしていたかった?その日のよい気分を継続したかった?
所感が、「愛情アウトプットは愛情タンクに注がれたカタチ…バイブレーションに添ってしまう」「与えられたもののなかからどういったバイブレーションを育てていくかは選択だが、それも経験値による」
「このことを日々忘れないようにしたい」
「あまり選べる気がしないが、瞑想と心がけでなんとかなるのだろうか」

尊いことをそのまま尊べるようになりたい。
心のどこかに「対象を見下す気配があること」に気づいていたい。その正体を知りたい。

ヴィパッサナー瞑想をした初歩の所感

前提
ヴィパッサナー瞑想の 瞑想、五戒を守る生活、慈悲の瞑想 をバランスよく修行することによる精進、は、違う形でこれまで少しずつ体得していたような気がする。

課題は、やはり「怒り」の定義。

輪廻転生の世界観における「怒り」のチェターナーについては初耳だった。
これが本当に画期的で、なぜ日本人の「みんな」は「笑って」いるのか、なぜ「そんなに怒らないで」と諭されるのか、初めて納得のいく解を得られた気がする。

「不善心処」程度だと、仏教哲学の一部として「理解」できる。
http://www.j-theravada.net/pali/key-akusala.html

しかしその背後の理由が、根本的には怒らないため、なぜ怒らないかは、業を深くしないため、ということが、不文律というか、「なぜ?」と問うてもなかなか出てこなかったのだ。

「怒り」のままでは未分化で、幼いと「興奮」と見分けがつかない。
見いだして、分化させていくことが文化の課題であり、タブララサを「人間」と為す要諦。

ああ。
だから「石原都知事と一戦交える」に失望したのか←これは多分慢でしょう。

2016年7月26日火曜日

最近気づいたこと

前提 子育て中につき、過去記憶参照が進行中+ヴィパッサナー瞑想を齧った

母語での生育+外国語での社会性獲得→帰国&外国語のフォローなし=無理ゲー

たんたんと事実として観ている