2018年4月17日火曜日

きくらげラブ

きくらげをぬるま湯でもどして刻んで「寿司酢」で炒めてちょっと塩して最後ごま油たらしたおつまみ、飲まない時のおつまみとしてサイコー。

2018年4月8日日曜日

またひとつわかったよ

母に電話をした。

風邪をひいてつらそうだった。
老老介護のつらさ、健康な父に対して「女は体調が悪くても家事をしないわけにいかない」「あなたは元気でいてね」

うーん。
そうか。同じ「怒りながら家事をするオンナ」として仲間扱いされて困るのか。
だから「なにもしない文」の不名誉称号を奉ろうとするのだな、本人的には親しみを込めて。

なるほどなるほど。

わたしは彼女には条件反射で一度反発してしまうので、
その反応をよく観察しておこう。

くりかえしたくない

尊敬する家長から酷い扱いを受け、自分よりも弱者を軽蔑や侮辱することも教えられてしまった娘が、
無意識にそれを自分の娘に伝えてしまい、その娘(孫)が愛するはずの対象を憎むことを学んでしまい、同じ事を自分の息子に伝えてしまうのではないかとおののいている。
のみならず、「娘」の高いプライドと低い自己評価も「孫」は引き継ぎ苦しんでいた。
ことに気づいた、のか?

「死にたい」と思うときは 「さみしい」とき「ケアしてほしい」ときと気づいた。

自分をケアして、自分のなかの「あやちゃん」の声を聞こう。

今なおおりにふれ「娘」にはおとしめられるので、そこは受け流そう。

「お母さん、わたしはお母さんに『あやさん』と呼びつけられ精神的に打ち据えられるのが嫌でした。『何でも出来る子』として小学校3年生の2学期にドイツ現地校から日本公立校(1学年7クラスのマンモス校)に入るのは苦痛でした。弟の受験を経た進学校での不登校のストレスをぶつけられるのが苦痛でした」
「今なお、行動が不安定な弟のかたわらで言葉を飲み込み、よい子を演じています」
「自分の苦悩は、話のたね以外のものは話せていません。それ以外の対話の型がみあたればよいのですが」
「娘」が学生の時、勉強で無理をしすぎて入院した事を最近知りました。
だから「孫」が学生寮に入寮した後の不調の際に一年間親元に呼んでもらったのだと腑に落ちました。
と同時に、娘と孫はそんなことも言語化して話し合えないことが…釈然としない。

「同じ事を自分の子にしたくないです」
「自分の子は地域社会に適応できる価値観と社会性を身につけさせたいです」
「そのためにも、自分の社会性、社会の中の立場を得ます」
「あなた方とは少しだけ距離をおきます」
「離婚したい、助けて欲しい、というのも本音ですが、おそらくそちらからのご提示以外は受け取らない方がいいのだと思っています(どうやら実家ではかわらずの「いい子」以外としては存在できない)」

引っ越す前の無邪気に夫を愛せていた頃のブログを読んで、この様にくったくなくありたいとは思うけれども、お互い精神的にも行動の上でももう少しよい距離をもてないと難しいことが分かる。

わたし(あやちゃん)が成長する、自立する、とは。