2010年4月19日月曜日

インパラの朝

半年くらい前?にラジオで著者のトークを聞いていたのを本屋で発見。トークが「ふつうに常識的な人」だったから購入。

紀行文は、著者の個性を楽しむもの(開高健とか)と、自分に近い人の視点で世界を見る楽しみに分けられるんじゃないだろうか。
国際結婚もの(ダーリンは外国人、モーレツ!イタリア家族、トルコで私も考えた、インド夫婦茶碗)が(自分のなかで)人気なのは後者の理由による。視点に違和感があると楽しめないので、国際結婚ならなんでもいいわけではない(アジ玉とか?)。 だから、この本が面白いかどうかは共感できるかどうかにつきると思う。
自分としては近年まれにみる5つ星だった。「インパラの朝」に相当する場面を、自分も大切な記憶としてもっているからだ。それがかけがえのない光景である理由も、近いのではないかと想像する。

欲を言えば、ストーリーとしてエピソードがつながっていれば素晴らしかった。けど、そうする難しさは想像できる。自分が書けと言われたらやっぱりこのスタイルにするだろうな…。

帯の解説には申し上げたい。「男性の作家は『ふつうに整った顔立ちの女性が、そのリスクを自覚、把握した上で行動する』ことを理解する恰好の書と考えればいいのに」

ブログが面白いらしい。 http://asiapacific.blog79.fc2.com/

2010年4月17日土曜日

そうでした

たまたま「人身御供論」→「差別の民俗学」と読んでいて気付かされた。

そして「サマーウォーズ」でとどめがさされた。

日本でのルーツさがしはデリケートな問題をたくさん含んでいるのだ。

2010年4月16日金曜日

へこんでいた理由

そうだ、このブログで書いたとおり、わたしは向きあえていない気持ちをかかえている。

精神的な応援を得ていた祖父母が、高齢化にともなって弱くなっていて、新しい関係をつくりにくいと思っているのだ。

祖父の帝国軍人のパーソナリティは怖いし(むかしはたかをくくっていた、怖さを知らなかった)、今まで自信満々の体しか見せられなかった祖母の弱った姿にも弱い。

母よりもそちらに精神的援助を見出していたので

介護における「孫力」が発揮できないケースかも。
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/071007/wlf0710071128000-n1.htm