2017年9月28日木曜日

夢の話

久しぶりに絵の先生のアトリエにいました。お教室の日ではなく、明るく広々しています(イーゼルや椅子が片付けてあるから)。
目前に上野樹里ちゃんが描いた、絵の具チューブが積み重なった地層?というアトリエ内静物写生のパステル画があり、わたしもこのモチーフを描きたかった、よく描いたなと思い本人に賛意を表します。夢だから。「上野樹里ちゃん」はおそらく「天真爛漫故の芸術の才能、飛べなくなる前のキキ」の象徴。
自分のデッサンの講評手直しの番がきて、直前に
「漫然と描いたこの静物も、光をかえればこういう物語が生じた」とわかってしまいます。
残念な気持ちで「(海外に)一週間もいたのに描けたのはこれだけです」と言います。
先生は座って手直しをしながら
「誰に
 何を
 伝えたいと願うのか
 決めるんです」
ああ。
切実な「誰に」がなかったのね、という納得。
静謐であたたかでした。
夢はその後、カリカチュアされた自分の社会人生活の場面が続きました。
目が覚めると、隣には昨日5歳になった息子が。少しだけ泣きました。「神様、表現手段を与えてくださって感謝します」

高校3年生になって先生に相談に行った時、「このままいけば桑沢、必死に本気になれば芸大も」とおっしゃっていただいたのに、「自分から一般受験を選んだ」ことにしていた、その実内奥では母の意向を汲んだ選択。「将来希望する職業」を発表する際に「本当は絵を描きたいのでお金をもらえればいい」と発言し、「お金もらえれば何だっていいんだって」と省略したクラスメートに憤るという分かりやすい抑圧構造だったあの頃。
もっと言うと、実家に戻った際に先生の話題を出した時、「先生は大分前にお亡くなりになったわよ」と当たり前のように言われ、知らせて欲しかった、ご葬儀に参加したかったという言葉を飲み込んだのでした。

そんなこんなが、夜中の涙で流れていきました。