2016年7月28日木曜日

ヴィパッサナー瞑想をした初歩の所感

前提
ヴィパッサナー瞑想の 瞑想、五戒を守る生活、慈悲の瞑想 をバランスよく修行することによる精進、は、違う形でこれまで少しずつ体得していたような気がする。

課題は、やはり「怒り」の定義。

輪廻転生の世界観における「怒り」のチェターナーについては初耳だった。
これが本当に画期的で、なぜ日本人の「みんな」は「笑って」いるのか、なぜ「そんなに怒らないで」と諭されるのか、初めて納得のいく解を得られた気がする。

「不善心処」程度だと、仏教哲学の一部として「理解」できる。
http://www.j-theravada.net/pali/key-akusala.html

しかしその背後の理由が、根本的には怒らないため、なぜ怒らないかは、業を深くしないため、ということが、不文律というか、「なぜ?」と問うてもなかなか出てこなかったのだ。

「怒り」のままでは未分化で、幼いと「興奮」と見分けがつかない。
見いだして、分化させていくことが文化の課題であり、タブララサを「人間」と為す要諦。

ああ。
だから「石原都知事と一戦交える」に失望したのか←これは多分慢でしょう。

2016年7月26日火曜日

最近気づいたこと

前提 子育て中につき、過去記憶参照が進行中+ヴィパッサナー瞑想を齧った

母語での生育+外国語での社会性獲得→帰国&外国語のフォローなし=無理ゲー

たんたんと事実として観ている

2016年6月16日木曜日

3A

attitude
awareness
authenticity

2016年5月17日火曜日

マブイぐみ

今日は雨降り。
初めて子どもの自転車席用レインカバーを使って幼稚園に行った。
無事に園の駐輪場に着いてカバーを開けたら、ベルトをしていなかった!何事もなくて良かったよー!!!泣
そして到着したのが早すぎたので、商店街の軒先で雨宿りをした後開門を待とうと思ったら(幼稚園に並んでしまうと、時間がかかりすぎる場合は息子がまちきれないかもしれないので)、軒先のある所の手前の歩道上で、ビニール傘をさしつつ杖と自転車に掴まってよろけているおじいさんが「すみませんがちょっとカタカシテください」と。
…外で暮らしている方だろうか…?
「傘ですか、杖も支えますよ」
「いや、肩、肩、脇の下支えて」
「あ、肩」
息子の位置を確認しつつ「大丈夫ですか、救急車呼びましょうか」などと声をかけつつ、直接脇の下に肩を入れるのがためらわれて二の腕で引っ張り上げる。
「災難でしたね、では」
「ありがと」
立ち上がったのを確認して、目的地の閉まった店の軒先に入って振り返ったらもうその場にいらっしゃらなかった。息子の顔を確認したりしているうちに、通りがかった商店街のおばちゃんらしき人が「どうしたの」と。「早く着きすぎて幼稚園がまだ開いていなくて」などと笑って見交わす。

Sankt Martinではないが、もっと何かできたのではないか?あるいは早く着いたのので臨時におつかいをした?などと浮かぶ考えは妄想や慢なのでしょうかしら…(妄想かどうか迷わずラベリングできるようにもっと修行しよう。と、書きながら思った)

幼稚園に向かい、息子をお預けして家に帰ったが、微熱っぽく、落ち着かない。どこかでマブイでも落としたか 泣。久々にブログに書いて落ち着こうと思い、ついでに「マブイを落とす」で検索したら、「マブイを落としたらマブイぐみをする」旨の記事が。よし、帰りにマブヤー マブヤー ウーティクーヨー 〇〇(落とした人の名前)のマブヤー ウーティクーヨー マブヤー マブヤー ウーティクーヨーと唱えるべと半ば本気で思ったが、この記事を書いているうちにもう商店街のおばちゃんや先生方に拾ってもらったことに思い当たりました。

というか、ほんとに風邪か。喉も頭ももやっとする。

2015年4月30日木曜日

子育て中の感慨

バレーは、女性の友人のショーを何度か観ていたので、大変な芸術だという感慨はもっていた。
子育てをしていて、子どもが無尽蔵なエネルギーを出しながら遊ぶのを見守った後、たまたま男性のソロを観た。

https://vimeo.com/118946875

そうか、あのブルータルなエネルギーをこんなに優美にこのハコに閉じ込めたのか…という感嘆が湧いた。
芸術は凝縮だが、何を凝縮しているのかがそもそも現代生活では見えない事が多い。

2015年4月28日火曜日

ストレス解消が科学エッセイを読む事だった。仕事した方がいいのだろうか

「ウタマロ石けん」を調べていたら、石けんについての総合情報サイトがあった。
昔アースデイで記事を書かせてもらった時のようなスタンスで読み込んだ。発生実験の記事が今となっては切実。

http://www.live-science.com/bekkan/toba/

2014年11月30日日曜日

   At the age of his two years and two months, I feel teaching Japanese to my son R very easy. He  naturally repeat after me and wait for my reactions; he coverage on live his play by murmuring half Japanese and half by his own language; he is an ideal student.

   Not only thanks to R, but also the experience of learning several languages maybe gives me a language teaching guidance.
   My experience has begun when I and my family went to West-Germany in 1976 because of my father's business. So that my parents let me go to a local kindergarten from the very first entrance, I could communicate fluently with my kindergarten/ infant school friends. It means, first we all learned German together from the first step, and second, so that I was a member of their community, I didn't have to shrink with fear to talk away. Japanese had been brushed up concurrently by my mother. Fortunately she was an ex-teacher of an elementary school.
   After coming back to Japan in 1981, I went to a Japanese local primary school, then to a Japanese junior high school. At that time children learned English in the junior high for the first time, so I learned also my second foreign language at the first grade in the junior high. 英語は他の勉強と同じでとにかくおぼえるものだった。

   From the multilingual experience, I've got the recognition that a language is just a system of symbols. It was obvious to me that a word must be replaced if the recipient does not understand.
   Everybody knows the fact that words are just substitutes as a knowledge, though I often see moms who are just repeating a word to their very small child even without replacing. For them, a word is the world; the meaning of the word is inseparatable from the idea she has in her mind. 責めている訳ではない。これは私もおぼえがある。翻訳できない。